定期巡回コラムシリーズ:【対談】高浜将之(定期巡回サービス土屋 代表者)×大岩さん(グループホームのがわ 管理者)

『介護を誇りに』命を預かる中で意識すること、嚥下障害について、介護とは何か?など 徹底対談

対談相手:のがわ・大岩さん

介護が誇りに変わるまで

高浜:定期巡回サービスは今後、土屋グループとして重度訪問介護に次ぐ基幹事業への成長が期待されており、我々もそういう意気込みで取り組みたいですが、定期巡回サービスの特徴として、自宅にいながら施設サービスを受けられることが、もともとの事業モデルとしてあります。

“グループホームのがわ”のサービスを、自宅にいながら受けられたらより望ましいという考えから出発したものですので、本日は“のがわ”の管理者である大岩さんを招いて、“のがわ”における事例や、介護事業所の課題、介護職員に必要とされることなどをお伺いできたらと思います。

大岩さんは、“のがわ”で初めて高齢者介護に従事されましたが、“のがわ”で働く中で、それまで抱いていた高齢者介護のイメージとギャップが大きかったことはありましたか?

大岩:実は、私はもともと介護をやりたくなかったので、介護業界に入る前のイメージは、人に迷惑を掛けちゃうような人たちを、その仕事にしか就けないような底辺の人たちが世話しているものだと思っていたんです。

だから、介護をしていくうちに印象が変わったこととして、ここにいる人たちって「普通のおじいさんとおばあさん」だなと。もっとも、普通の姿に見えたのは、ケアがちゃんと行き届いていたからだということが後々分かるんですが、当時はもっとめちゃくちゃなことをしている人たちが施設に押し込められていると思っていたので、そのイメージは“のがわ”に来て変りましたね。

あと、働いている人たちの中には、しっかりとした考えを持って介護をしている人がいるんだなと思いました。“のがわ”に来て3年くらい経った後に、高浜さんに「自分はこの道で生きていきたいと思うんで、介護職で頑張りたいです」とお話させてもらいましたが、それは、この仕事はちゃんと「人に誇れる仕事」だなと思ったからです。最初は全く思っていなかったんですが、自分の仕事として、外に胸を張って言える仕事だと思えました。

高浜:ちなみに、どういうところが人に対して「誇れる仕事」だなと思ったんでしょう。

大岩:もともと私自身の働き方というのが、直接人を助けていないと自分自身が生きている気がしないからという、動機で仕事を選んでいた側面があったんです。感謝されたり、人の役に立っている実感がないと生きていけない人間なんですよね。だから前職が直接人の命を救う消防士だったんですが、介護の仕事を始めた当時、上司に「介護は命を預かる仕事だ」とよく言われていたんです。

当初は私にとって、「命を預かる仕事」って直接救うことでしかなかったんですけど、段々と、介護の仕事では直接の命の有無ではなくて、この人たちが生活をしていく、つまり「生きていくこと自体を手助けする仕事」なんだなということが分かってきたんです。

介護というのが、世話をするのではなく、「生きることを支えていく仕事」なんだと自分なりに気づいた時に、自分の中で、これは本当に誇らしい仕事だなと思いましたね。

命を預かる中で意識すること

高浜:要介護状態になると、長生きをすることと、どういう生活をしているのかは比例する部分もあると思います。つまり本人が自分でやりたいことを実現できていたり、生活に充実感を感じているようなQOLが高い生活ほど長生きしやすく、刺激があまりなく身体だけいたわるといったQOLの低い生活では、どんどん命が先細りになっていきますが、そこについて大岩さんはどんなことを意識して介護をしてきましたか?

大岩:同じ方に対してでも、人それぞれに何をアプローチするのかは毎日違います。なので、とにかくその人のことを「知り続ける」というのは私も教わってきましたし、実践してきたところです。

過去のこともそうですし、本人が今どう考えるのかも含めて、「この日はどうだろう」、「この一瞬に何を考えているんだろう」というように、ずっとその人のことを考えていくことが、結局はその人のやりたいことや自己実現、QOLを上げていくことにつながると思うんですよね。

つまり望み、「ニーズを知る」ことですよね。けれどニーズの一言では片付かない、もっと根本的なことで、「こういう生き方で、生き終えたい」ということに近いかもしれません。

“のがわ”はずっと看取りをしてきているので、ここで接点を持った利用者さんはほとんどここで亡くなっています。こうした中で、どう生き終えるまでを見ていくのかという考えに立つと、寝たきりになったとしても、なにかそこに、この人が望むような刺激をどうやったら与えられるんだろうと考えていく必要があったんです。

そして亡くなる直前に、家族にどういうふうに見守られたいんだろうとか、どういう苦しみを取り除いてほしいんだろうと、常に考え続けなきゃいけないということはありますね。

高浜:ニーズについてですが、私はそれには階層があると思っているんです。今こうしたいということと、本当はこうしたいというところがあって、でも後者についてはなかなか話を聴けないし、話す機会もない。そもそも本当は何をしたいか、つまり根本的にどう生きたいかみたいなところを、人は言語化しながら生きていないと思うので、それを知るのは難しいですよね。

大岩:そうですね。それは認知症のあるなしに関わらず、人ってそういうもんですからね。

高浜:ニーズという一言にも多様性がある中で、認知症だと特に5分前のことも忘れているので、ラーメンが食べたいと言われてラーメンを出すと、ハンバーグ食べたかったのにという世界じゃないですか。そういう意味では「知り続ける」ことって、仕事としては終わらない作業ですよね。

大岩:その方が亡くなるまで、あるいはサービスという範疇で常にかたわらにいる間はずっと終わらないですね。

嚥下障害について

高浜: QOLが高いほど長生きするという点ですが、これは認知症だけではなく高齢者全体に関することです。急病ではなく、老衰のように徐々に身体機能が落ちていくのを前提にすると、要介護状態になった高齢者が亡くなる前に必ず訪れるのが「嚥下障害」です。

嚥下機能が落ちると、一気に命の下り坂を転がっていってしまいます。ある意味、「嚥下障害をいかに遅らせるか」が、介護の裏テーマに実はなっています。

ここはあまり気づかれないことですが、最終的に誰もが嚥下障害になるんです。それが1か月か、1年か、5年なのかが違ってきます。嚥下能力が落ちて、たとえご飯を食べられていても、生活は徐々に受け身になっていきます。

けれど、嚥下障害が落ちない人もいます。その人たちの共通点は、「ぴんぴん歩いている人」なんですよね。ぴんぴん歩きの人に嚥下障害は起こらないんです。

つまり嚥下障害は、身体機能の終着地点の手前で起きるということです。そうならないために、ケアワーカーは制度の枠組みの中で、どうやって身体や頭を動かしてもらうのかに必死に取り組んでいると思います。

大岩:そうですね。全身の筋肉量が低下すると最終的に嚥下障害が起きますが、全身の筋肉量をどのように維持するかというと、基本的に重力に逆らって「歩くこと」なんですよね。

今、嚥下機能が悪化して食事の介助を受けているAさんという方がおられますが、その生活が4~5年同じ状態で続いています。でもAさんは肺炎になったことはないんです。むせるんですけど、むせてもちゃんと吐き出すことができる基礎体力があるので、誤嚥しても肺まで到達しないんですよね。

そうなる前のAさんがどういう暮らしをしていたかというと、ほぼ1日中歩き続けていた方だったんです。事業所を脱走することは数知れずですが、毎日歩き続けていた。だから嚥下障害が起きても、予備動力があるので低下が緩やかですよね。もちろん中には急激に状態が落ちて食べられなくなる方もいるとは思いますが、歩き続けていた人というのは食事ができる期間が最後まで続くと思います。

一方で、Aさんより若く、筋力もしっかりしていたBさんは、精神病院等で寝たきりや薬漬けの生活でした。その影響でしょうか?“のがわ”に来てからも、嚥下機能が急激に進んでしまいました。生活改善で一時持ち直すことが出来ましたが、復活しきれずそのまま肺炎を起こして亡くなられました。

だから、今までどういう生活を送ってきたのか、身体を動かし続ける生活をしてきたのかどうかは非常に大事で、食べる楽しみを最後までもてるかどうかはそこだと思いますね。

自発性と依存①~良かれと思っても~

高浜:嚥下障害を遅らせるためには歩くことが大切なわけですが、なかでも勝手に動いてもらうのが一番いいんですよね。ケアワーカーが「動きましょう」と言って、どんなに働きかけても、1日1時間も歩く時間を作れないと思うんですよね。でも自分で何かが気になって動いている状態だと、基本的に勝手に動いてくれます。私たちが声をかける以前に身体を動かしてくれているのは非常に望ましいんですよね。

もっとも、自主的に動くかどうかは性格にもよるので、一概にこちらがコントロールできることではないんですが、そういう意味では、自分たちで身体を動かすことを、私たちケアワーカーがいかに奪わないことがすごく重要だと思います。

“のがわ”の事例を元にお伺いすると、「自転車に乗りたい」と仰られていたCさんがおられます。けれども明らかに機能が落ちていく認知症状態の方で、今自転車に乗れても3か月後には乗れないかもしれない。もし転んだら、それこそADLが低下して身体機能が下がることにより嚥下障害が近づいてしまう。そこで色々なやりとりがあった末に、最終的に大人用三輪車を買って、買い物に行き続けた事例ですが、Cさんは自転車で買い物に行こうという提案を断ったことがない。それは、もともとCさんの主体性からうまれた毎日の習慣であったからこそ、身体機能低下を遅らせることにつながったんだと思います。

大岩さんは「自発性につながる」ことが大切だと考えてCさんの介護をされてきたと思いますが、この点についていかがですか?

大岩:そうですね、Cさんに関しては良かったと思います。けれど、良かれと思ってやってみて、失敗したことも多くあります。

高浜:それは、実は本人の気持ちが置いていかれていたということですか?

大岩:こっちは良かれと思っているけど、本人のニーズを引き出し切れていないというか、本人の要望とは違ったということですかね。

例えば、先ほどの毎日歩き続けているAさんは、しょっちゅう事業所の外に出ていくので、Aさんは外を歩きたいんだと思って、家事作業と結び付けて毎日一緒に買い物に行っていたんですね。でも実は、Aさんのやりたいことは買い物ではなくて、自分の子どもがいた幼稚園に迎えに行きたかっただけだったんです。

むしろ買い物に行くが嫌だったみたいで、すごく嫌そうな顔をして店まで連れて行かれて、持ちたくもない荷物を持たされて、本当に申し訳なかったなと思うんですけど、Aさんの外に行きたいという気持ちの原因を、私たちが対処療法的に、とりあえず歩ければ満足するだろうと安直に考えてしまっていたところもあったと思うんです。そうした失敗はたくさんありますね。

自発性と依存②~限られた範囲の中で~

高浜:先ほどの Aさんですが、買い物に嫌々行っていたとしても、よく買い物中に私と一緒に休憩がてらお店でお茶をしていました。その時のAさんはやっぱり生き生きするんですよね。だから根源的な「何をしたいか」からはかけ離れているかもしれないけれど、その時々で「この時間、楽しいな」と思うと、すごくいい状態に戻る。そういう時間を過ごしてもらえることは多々あると思うんですよね。

介護事業所なので、やれることの「限界値」がやはりあって、私たちが入居者さんの「こうしたい」という思いに際限なく応えられるわけではない。実際は、かなり限られた範囲になりますよね。まれに墓参りに遠方まで1泊2日で行くこともできたかもしれないけれど、根源的には、日々その人たちが本当に送りたい生活に応えられてないのが現実なんだと思います。

どうしても、やったことやできたことにフォーカスしがちなんですが、本質的に考えてみれば多分ほとんど応えられていなくて、それでもスポットごとに少しでもその人たちの想いに応えながら、人生を前向きに過ごしてもらえるようなことが私たちケアワーカーの役割なのかなと改めて思いました。

要介護状態になって自分の好きなように生きられなくなった人たちに、「生きててよかったな」と思える瞬間を、少しでも作り出すことが介護職の社会の中の役割になるかなと思うんですが、大岩さんはどう考えますか。

大岩:そうですね。そう思います。その上で、実際よくあるケースとして、本人の要望は分かりやすいのですが、それが果たして本来、介護保険的にいいのかというのが多々あります。つまり、自立支援ではなく、完全な「依存」につながる要望ですね。それは介護職としては叶えていくことは難しい。やはり本人が自分のことは自分でやろうと思っていただくようにしなきゃいけないので、そこを区別する必要がありますね。

高浜:本人が自分ができることなんだけど、どうしても人にやって欲しいという思いがある場合ですよね。

大岩:車椅子を自走はできるけど、押してほしいみたいな。

高浜:介護保険にある自立支援として、「本人の持てる力を発揮して」というのがありますが、その前提として、本人が「自発性を持って行う」ということがあると思うんですよね。甘えたい瞬間って誰でもあるじゃないですか。子どもが明らかにできることなのに親に甘えたい瞬間みたいなことが。だから私自身は、介護保険だからそれがだめだとは思わなくなってきているんです。自立支援は基本ではあるけれど、本人が孤独な思いをしていないことが前提なのかなと。

大岩:そうですね。そこは間違えないようにしたいですね。

自発性と依存③~クライアントとアテンダントの関係性~

高浜:依存と自立に関して、大岩さんが気を付けていることは何ですか?

大岩:自分で立って車いすやトイレに移動できるけれど、「支えてほしい」とか「移してほしい」と言う場合は、「転ばないようにそばで見ているから頑張ろう」と言ってみたりはしますね。ある程度見ていてほしいとか、なんとなく任せたいという気持ちにどこまで沿って、どこから先は自分自身でしてもらうのかだとは思いますが、統一するのは難しいですね。結局、人と人の関係になるので、アテンダントとクライアントの信頼関係がどこにあるかでバランスも変わってくる。

受容から始まるスタッフは、依存された時に相手に自立を促すことが苦労する部分でもあるし、逆に「そんなん自分でやりなさいよ」というお母さん的なスタッフは信頼関係が構築できずにケアを受け入れてもらえなくなることもあります。

そこは一人一人が自分自身の介護スタイルをどう作っていくかにもよると思うので、事業所としてアドバイスはできるけど、結局実践するのはスタッフ自身なので、レベルアップが難しいなと日々思うところですね。

高浜:その瞬間に気持ちいいなと思ってもらったり、生きててよかったと思ってもらえることが終着点にある中で、かといってそればかり優先していると身体機能がどんどん落ちていくことにもなりかねない。それに気持ちの問題も、依存と自立の2つに分けられるものでもなく、人に頼っているとそれが当たり前になって幸福感から離れていくこともありますね。

大岩:満たされないと怒りに変わるときがいつか来るので、そうならないように気を付けなきゃいけないというのもあります。

高浜:クライアントとアテンダントの距離感はすごく大切だというところですね。でもこれは言語化できるもんじゃないからね。

大岩:そうですね。アドバイスはできるけど、決まった何かがある訳じゃないので難しいですね。

“のがわ”の取り組み~「小さな声」を拾う~

高浜:認知症が進んで言語障害が起きてくると、自分の想いを人に伝えられなくなっていきますが、人に伝えられないからといって、その人たちの想いがなくなったわけでもありません。そうした中で、クライアントの想いに一つ一つ配慮していかないと、結局、生きていく力がどんどん失われていきます。

今“のがわ”では、重度化した人たちへの対応として、「小さな声を拾おう」というテーマで、自分ではなかなか発信できない人たちのニーズを、どのように拾っていくかという取り組みを行っていますが、それについてお聞かせください。

大岩:重度化しているユニットの方で、身体が動かせない 声もなかなか自分で発語できないという人たちが、何を心地よいと感じ、何を不快だと感じるかをということを、見極める取り組みをしています。

自己主張が難しい方々のパッシブな反応をどう見極めるかということですが、これもレベルがあって、言葉を発することはできるし、単語も言えるけれど、時間がかかったり、伝え方を工夫しないとこちらの意図が伝わらないというような方に関しては、とにかく「伝えるための準備」をしっかりしています。

相手がストレスのない状況で、こちらを信頼して、安心して任せていいんだと感じてもらえるように関わると、自然とポッと言葉や単語が出たりするものなので、そういう方たちに関してはとにかく、こちらの都合で時間を区切らないことかなとは思いますし、引き出すための準備がとにかく大事かなと思いますね。

高浜:重度化している方に対しては、どのようにしていますか?

大岩:身体能力的に言葉を発せられない状態になってきて、食事も介助されるだけであったりする方に関しては、快不快をどう見極めていくかという話になってきています。言葉は発しないけれど、こちらの話はちゃんと聞こえていると思われる方や、目で見えているものは正しい認識で把握されていると思われる方がいますが、まずはそれに、ケアワーカーがいかに気づくかだと思っています。

それには「相手の反応を見る」ことが大切ですね。例えば周りに対する理解を本人ができていないと、怖がったりして身体が硬直し、身を守るようにしてしまいます。こちらが言葉をかけた際にそういう反応が見られなければ、ちゃんと聞こえていると思いますし、言語化するのは難しいですが、認知症の症状があったとしても、本人が理解しているだろうなという目つきってやっぱりあるんですね。

なので、そういう目つきをされているのであれば、本人の見えているものをきちんと理解されているだろうなと思い、視界の中に本人にとって嫌なものを映さないようにすることを考えますね。

高浜:認知症で、こちらの意思が伝わらずに介助を受けている人は、怖がっているから力が入るんですよね。要介護5の認知症の方も、介助の際に身体がかちんこちんになるほど力が入っていることがありますが、力が入って拘縮に繋がってしまうことがあります。

けれどこちらの意志が伝わると、介助するときに緊張がほぐれて身体が軽くなるんですよね。車いすのフットレス一つが、下ろすときにすごく軽い時と、すごく重い時がありますが、そういうささやかな一つ一つに、実を言うと入所者の意志というのが感じられる。

大岩:はい。なので五感の中で何の能力が保たれているのかを把握して、そこに対して心地よいものを、なるべく多い時間触れさせることができれば、QOLは上がるという考えで介護をしています。

高浜:そこで今、“のがわ”のスタッフが、利用者の声にはならない「小さな声」を少しでも聴いて、不快な状況を減らしていこうとされているんですね。

大岩:そうですね。重度化してくると、そこが大事だと思って取り組んでいますね。

高浜:今のお話はアセスメントそのものだと思いますが、一般のアセスメントシートのアセスメントでは分からないことが非常に多い。多くのアセスメントシートでは、自立できていれば二重丸、まあまあできていたら丸などの5段階くらいなので、利用者の状態をみなで共有できないところがあると思いますが、“のがわ”では全部記述式のアセスメントシートを使っていますよね。

要は、全介助などの項目が一切なく、できるかぎりスタッフ一人一人が多方面から知り得た情報を、みなで「あーでもない、こーでもない、こんなことができた、こんな反応があった、こんな良くない反応があった」と討議して、ひたすら集約し、それがケアプランに仕上がるという仕組みになっています。それが、土屋流の入居系サービスになっています。

のがわのアセスメントシート

一例抜粋

利用者及び家族の要望・総合的な援助方針
私の嬉しいこと・楽しいこと・好きなこと
私のやりたいことや願い・要望
私の不安や苦痛・悲しみは…
家族とのかかわり・家族の希望など
死後の願い・ターミナルケアについて
本人が受けている医療や介護への願いや要望など
総合的な援助方針
認知症アセスメント(アルツハイマー型)
アルツハイマー型認知症は、アミロイドβというタンパクが脳に蓄積して神経細胞が減少し、脳の萎縮が進行する病気です。症状としては、記憶力の低下で始まり、日付・曜日や居場所がわからなくなる見当識障害、料理などの作業の要領が悪くなる実行機能障害、判断力の低下、言葉が円滑に出ないなどの中核症状がみられます。さらに、イライラして怒りやすくなることや、ものを盗まれたと主張する被害妄想などの行動心理症状が現れることがあります。
<中核症状>基本的な症状症状の有無(○△×)その他の症状
記憶障害同じ質問や話を繰り返す
同じ行動を繰り返す
聞いた話を覚えてられない
<覚えてられる時間 約(    )分>
過去の出来事に関する記憶を失っている
見当識障害季節・時間が分からない
自分のいる場所を理解できていない
家族の名前を忘れる・身近な人を認識できない
その他(    )
実行機能障害物事を企画(考える)することができない
自分の意思で判断・決定することができない
物事をやり遂げたか判定することができない
その他(    )
理解・判断力の低下自分の身体機能を認知できない
危険なことを認識できない
その他(    )
その他物を理解しているが、使うことができない
トイレ以外の場所で排泄してしまう
物の名前や使い道がわからない
自分の病気・麻痺について自覚がない
伝えたいことを言葉にできない
人から説明された内容を理解できない
筋力低下以外の原因での身体機能の低下が見られる
<BPSD>
有り
具体的な症状
認知症アセスメント(レビー小体型)
レビー小体というタンパクが脳に蓄積する病気です。物忘れのほか、特有の症状として、転びやすくなるというパーキンソン症状や、実際には存在しないものや人物が見えるという幻視、人物誤認などの症状が徐々に進行します。調子の良い時と悪い時の変化が大きいといわれています。
<中核症状>基本的な症状症状の有無(○△×)その他の症状
記憶障害同じ質問や話を繰り返す
同じ行動を繰り返す
聞いた話を覚えてられない
<覚えてられる時間 約(    )分>
過去の出来事に関する記憶を失っている
見当識障害季節・時間が分からない
自分のいる場所を理解できていない
家族の名前を忘れる・身近な人を認識できない
その他(    )
実行機能障害物事を企画(考える)することができない
自分の意思で判断・決定することができない
物事をやり遂げたか判定することができない
その他(    )
理解・判断力の低下自分の身体機能を認知できない
危険なことを認識できない
その他(    )
その他物を理解しているが、使うことができない
トイレ以外の場所で排泄してしまう
物の名前や使い道がわからない
自分の病気・麻痺について自覚がない
伝えたいことを言葉にできない
人から説明された内容を理解できない
筋力低下以外の原因での身体機能の低下が見られる
<BPSD>
有り
具体的な症状

介護とは何か

高浜:介護に興味があったり、介護を始めてみようと考えている方もいらっしゃる中で、大岩さんが思う「介護」とは何ですか。

大岩:「生き終えるまで見守る」ことかなと思います。“のがわ”では看取りがあって、亡くなるまでというところがあるので、生き終えるまで、その人らしくいてもらうことかなと。認知症状態になっても、要介護状態が重度になっても、その人らしさはどこかに残っているものです。それをきちんと見つけて、できれば家族に伝えられたらと思いますね。

ご家族はよく「こんな状態ですが」と言いますが、「こんなところがありますよ」と話をすると、「ああ、すごくお父さんらしい、お母さんらしい」と仰ってくださいます。グリーフケアにも近いですが、ご家族に、その人が最後までそういう人であり続けたときちんと伝えるのは、個人的には介護職の役割だと思っています。

高浜:本日は、その人がその人らしく、最後まで生活することを支え続けている“のがわ”の管理者、大岩さんにお話を伺いました。次回は、その人がその人らしく自宅で過ごせる定期巡回サービスの魅力についてお話を伺います。

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