㈱土屋 常務取締役・定期巡回サービス土屋 代表 高浜将之へインタビュー 【認知症介護とは】

長年、認知症介護に携わり、複数の事業者の統括責任者を務めるなど、高齢者福祉分野の第一人者である、株式会社土屋常務取締役・高浜将之。定期巡回サービス土屋の代表も務める高浜常務に、今回は「介護を始めたきっかけ」や介護人生の中での「気づき」、そして「認知症介護への想い」について話を伺いました。

今すぐ使える実践方法も満載です。

目次

認知症介護とは何か

介護を仕事に

インタビュアー 社長室・川﨑知子

介護を始めたきっかけは何ですか?

常務取締役・高浜将之

大学在学中に父が癌になり、経済的に苦しくなったので家計を支える必要が出てきたんです。大学に行きながらバイトを掛け持ちして、毎月5万円ほど家に入れていました。就職活動もできず、卒業後に給料の高さに惹かれて手っ取り早く入社したのがブラック企業の営業会社だったんです。

え⁈

本当にひどかったですね。「訴えるぞ」「二度と電話をかけてくるな」など、散々お客さんから言われました。「ここにいたらいつか訴えられるんじゃないか?」と思っていたら、数年後その会社は本当に訴えられていました。判断能力の厳しい高齢者にも商品を売りつけるのを見て、ものすごく違和感を覚えましたね。

えそれはひどいですね。それで、どうされたんですか?⁈

同じ頃に、9.11(同時多発テロ事件)が起きたんです。TVで懸命に瓦礫を拾う消防士たちを見て、『こんな仕事をしている場合じゃない』と思いましたね。それで同時多発テロ後の9月末で退職しました。

退職されたんですね。家計を支える中で大きい決断だと思いますが、あくどいことには付いていけないと。

そうですね。私は大学で歴史学を学んでいて、卒論テーマはスペイン・イベリア半島だったんです。スペインはもともとキリスト教文化圏ですが、711年から1492年までの間、基本的にはイスラムの支配下にあり、その間に宗教や文化・人種の融合がなされた国です。

私自身、世の中にある差別や、人と人がなかなか分かり合えない現実を見ていて、イスラム教徒とキリスト教徒が共存していたスペインの歴史から、どうすれば平和な社会が作れたり、みなが幸せに暮らせるのかを紐解いていくことにずっと興味があったんです。

なるほど。そういう背景があって、懸命に救助する方々に共感されたんですね

はい。ただ、そこからすぐに介護の仕事に就こうと考えたわけではないんです。9.11後、アフガニスタン侵攻が始まり、新聞などで情報が色々と入って来る中で、これは単純にアルカイダやタリバンが悪いという話ではなく、その背景にある社会構造が問題なんだと改めて感じました。

けれど、戦争になって亡くなっていくのは無関係の市民や子どもたちです。そういう状況を見るうちに、彼ら難民や困っている人たちをサポートする仕事に就きたいと思い、NGOの募集要項を調べ始めたんです。

実際に海外でサポートしようと?

そうなんですが、NGOは英語やPCなど求められるスキルが高くて、自分には到底できないなと。
そこで視点を変えたんです。海外の方のサポートはできないかもしれないけれど、日本にも困っている人たちはたくさんいる。そうした国内の社会的弱者の側に立ってできる仕事って何かなと考えて、すぐにできそうだったのが介護だったんです。それが、介護の仕事を始めたきっかけですね。

認知症介護への想い

川﨑:まず、施設で働かれたんですか?

高浜:

そうですね。介護を始めるに当たってホームヘルパー2級を取得した際に、実習先の施設(介護老人保健施設)に声を掛けてもらって、そこに就職しました。大型施設だったので、経験を積む場所としては良かったですし、利用者さん達と関わるのがシンプルに楽しかったんです。けれどしばらくすると、いろんな不条理の中に利用者さんがいらっしゃるのが見えてきて、違和感を持ち始めました。やはり施設は収容所的だと感じましたね。

川﨑:収容所的とは?

高浜:

例えば『トイレの時間です』の掛け声で十人くらいが並び出したり、家族が差し入れを持ってきても認めてもらえない。私も忙しくて利用者さんと向き合うどころじゃないし、これはおかしいなと。

川﨑:それで、グループホームに移られたんですね。

高浜:

はい、丸2年で施設を退職して、グループホームのがわに転職しました。そこで色々な価値転換をしてもらったんです。

川﨑:価値転換ですか?

高浜:

はい。例えば施設では、『危ないから、これしちゃだめ』と利用者さんによく言います。私もずっと、こちらが良かれと思って「やってあげる」ことが介護だと思っていたんです。けれどグループホームに移ってからは、自分が何気なく当たり前のように行ったことを、「それは何のためにするんだ」と、よく上司に問われました。

川﨑:つまり、利用者さんにしてあげることを、「何のために」と?

高浜:

そうですね。「なぜ利用者さんに自分から動いてもらおうとしないんだ」ということなんですが、実際、のがわでは、利用者さんが自発的に色んなことをしていて、施設では出会えなかった生き生きとした姿がそこにありました。

川﨑:「自ら動く」という事が生き生きしたことにつながるんですか?

高浜:

そうなんです。それがどうしてかをよくよく考えて見ると、人って、自分が何かをしてもらって「ありがとう」と感謝するより、他人に何かをして「ありがとう」と感謝される方がよっぽど気持ちがいいと思うんです。

だから私も、利用者さんのお願いに親切心でしてあげて、「ありがとう」と感謝されるのが嬉しいなという感じで介護をしていました。けれど上司の言葉で、自分が気持ちよくなって終わりだと、それは自己満足でしかない。

そうではなくて、利用者さんに沢山動いてもらい、利用者さんに『ありがとう』と言われる側に立ってもらおうと。そうすれば、利用者さんも喜んで、ほんとに生き生きするんだと。そういう支援をするのがいいことに気づかされたんです。

川﨑:それが価値転換なんですね。

高浜:

そういうことです。だからそこからは、利用者さんに色々と動いてもらって、自分自身が『ありがとう』を言う支援を大事にしてきましたね。利用者さんが自分で料理をしたり、買い物に行ったり、ごみ拾いしたりと、地域で活躍してもらう活動もしていました。ゴミ拾いをして町の人に『ありがとう』と言ってもらうと、みんなすごいやる気になりますし、失われかけていた自信も取り戻すんです。

認知症になるということは、色々なものを失っていく過程です。だから自信を回復させることこそが認知症ケアだと考えています。

グループホームのがわでの取り組み

川﨑:認知症ケアについて、取り組みなども含め、もう少し教えてください。

高浜:

認知症の方は、「生活する力」「歩く力」「考える力」が下り坂に入っています。例えば部活動では毎日練習し続けることで能力が維持できますが、それと同じで、認知症の方も「生活する力」を維持するには自分で色々とやり続けなければいけません。

身体や頭を毎日動かし続ければなんとか能力を維持できますが、何にもせず、人にやってもらってばかりで1年が経つと、がくんと力が落ちてしまって、それを取り戻すのはすごく大変なんです。

だから、本人が嫌な気持ちにならずに、自発的に動こうと思ってもらえるような声掛けや関わり方を意識して介護をしていました。

川﨑:どんな声掛けや関わり方なんですか?

高浜:

例えば私は料理が好きなんですが、現場にいる頃はは料理ができないということにしていました。というのも、料理の上手な人が隣で腕を振るっていたら、利用者さんも「あんたやりなさいよ、私疲れたからやめるわ」という感じで、やる気が失せるんです。ですが、男性が料理できないとなると、「しょうがないな」と悪態を付きながらも働くわけです。

だから、危なっかしい包丁さばきをしたり、骨折したみたいに三角巾で腕を吊るしたりしていましたね。わざと味付けをしないで味見してもらって、「こんな味の薄いの、食べられるわけないじゃないか」と、いうと自分で味付けをし直す等みんな自発的に動きだします。こんな風に自分の能力はあまり使わず、相手の能力を引き出すケアをしていましたね。

川﨑:なるほど。思考力の維持も大切だと思いますが、どんなアプローチを?

高浜:

まず、何かを「決める」という動作は脳をすごく使うので、基本的に私たちスタッフは物事を決めず、利用者さんたちに決めてもらうようにしています。

例えば、「今日の晩ごはん、何にする?」といつもお伺いしますね。もっとも、そうすると自分の好きなものが想起されるので、前日に食べたものを覚えていない認知症の方は、毎日同じ食事になるんですが。私も当初は週に3日はトンカツを食べていました。

川﨑:週に3日も⁈

高浜:

はい(笑)とはいえ、それはまだいい方で、自分の好きなものが頭に浮かびにくくなってくる方もいます。思い浮かべるということ自体が、脳の機能を結構使うんです。

認知症は段階を踏んで進んでいく、とても長い道のりです。数あるものの内から何か思い浮かべることも大変だし、その中から自分の気持ちや好みを決めるに至っては非常に高い能力が要求されます。なので「決める」こと、「考える」ことを、どうそれぞれの状態に合わせて引き出していくか、それを大切にしていました。

川﨑:例えば?

高浜:

例えばカレーを作る時、「ニンジンを切って」と声を掛けます。そうすると、「どうやって切ればいいんだ」と聞かれるので、「カレーに入れるから、それに合うように切って」と答えます。そうすると、「カレーに入れるニンジンって、どんな感じかな」と考えてくれるわけです。

そうやって私たちが勝手に答えを出すのではなく、それがみじん切りであろうが千切りであろうが、利用者さんたちがその瞬間に自分の脳を使って頑張って考えてくれて、そこに至った結論を後押ししていました。

川﨑:何歳であっても、自分で「考える」ことが大切なんですね。

高浜:

あとは会話も重要ですね。「何が食べたい?」と言って、「何でもいいよ」と返されると、「じゃあ、めざしでいいよね」と答えます。すると、「ふざけるな」と返ってくるわけです(笑)そこから、「じゃあ何食べる?」と問答していると、「せめて寿司にしてくれ」となったりします。全然違いますよね(笑)

そうやって利用者さんの気持ちと頭を活性化できるように、自分で脳を使うきっかけを、やり取りしながら探っていく作業をしていましたね。

川﨑:やはり活性化が重要なんですね。ドキドキしたり、ワクワクしたり。

高浜:

そうですね。のがわでは毎年、近所の盆踊りに20人くらいの面々で行っていました。1,000人以上が参加する盛大なお祭りで、最初の頃は人が多すぎて後ろからちらっと見て、買い物だけして帰るといった感じでした。けれどある時から「これじゃあ、だめだ」と、最前列の場所取りをするようになったんです。

最前列にたどり着くには、一般の人たちを押しのけて、30mくらいゴザをかき分けなきゃいけない。車椅子の利用者さんも半数くらいいるので、皆、迷惑だからと気後れしていたんです。でも、ここで私たちケアワーカーがひるんで遠慮していると、車椅子の利用者さんが「普通の暮らし」を送る権利を守れないことにもつながります。この権利を守るためにも我々がやるしかないと。

実際、とてもいい試みなんです。利用者さんたちは脳の働きが落ちているので、遠くから盆踊りを見てもよく分かりません。でも最前列に行って、子どもたちや浴衣を着た人たちが踊っているのを見ると、心と身体が動き出すんです。普段動かない人が立ち上がって踊ろうとしたり、子どもたちに手振ったり、ハグし出す方もいらっしゃいます。そういう風に心と身体が動くことが、認知症ケアにおいても大きな成果としてありますね。

介護人生を振り返って

川﨑:今まで20年間、どういう気持ちで介護の仕事をしてこられたんですか?

高浜:

単純に、楽しいから介護の仕事を続けてきただけだと思うんです。基本はずっとそれかなと。やはり利用者さんの力を引き出していくと、いい顔をしていくんですよね。人に何かをしてもらった時と、自分が何かを達成した時の表情の違いってすごくあると思いますが、そうした表情を見て、しめしめと思っています(笑)そういうことを喜びとして、介護をしてきたと思いますね。

それに、介護の仕事を始めた時に感じた、「どうすれば認知症の方が普通の暮らしを送れるのか」との想いは、今もすごく意識していますね。制度によってサポートできる範囲も決まっていたり、人の配置などで難しい面もありますが、できる限り私たちと同じような当たり前の生活をしてほしいと思って仕事をしてきました。好きなことをして、好きなもの食べて生きていってほしいし、生きていく中での喜びを感じてもらいたい。そういう刺激を我々がもたらせたらなと。

川﨑:高浜さんが思う、「認知症ケアとは何か」についてお聞かせください。

高浜:

介護を始めてから今まで、アルツハイマー病の最終段階である「死」に至るまで、脳の萎縮のスピードをどうすれば遅らせられるのか、動かなくなる身体をどうすれば動かせられるのかを日々、目の前のこととしてはやってきました。

それが何処にたどり着くのだろうと考えた時、ふっと、「長生き」に帰結するんだと、できる限り「死を遅らせる」ことだと感じたんです。頭も体もたくさん使ってもらい、「生きててよかった」と感じられる瞬間をたくさん感じてもらえながら長生きして欲しいと思います。それが介護の最終的な大きな役割だと思いました。

私自身、長い時間をかけて、認知症ケアに、色んな気づきをさせてもらったと思っています。

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プロフィール

高浜将之
株式会社土屋 常務取締役 兼 VICE COO

大学卒業後、営業の仕事をしていたが、2001年9月11日の同時多発テロを期に退職。1年間のフリーター生活の後、社会的マイノリティーの方々の支援をしたいと考え、2002年より介護業界へ足を踏み入れる。大型施設で2年間勤めた後、認知症グループホームに転職。以後、認知症ケアの世界にどっぷり浸かっている。グループホームでは一般職員からホーム長、複数の事業所の統括責任者等を経験。また、認知症介護指導者として東京都の認知症研修等の講師や地域での認知症への啓発活動等も積極的に取り組んでいる

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